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この路地の先に・・その16

2009年12月03日






千夜一夜物語や、魔法のランプの世界がそこには広がっていた。


鍾乳石飾りで覆われた天井、アラブ文様のタイルの壁など、すべてが今まで見たことのないようなものばかりだ。


おとぎ話の中ではなく、栄華を極めたアラブの王とそれを取り囲む人々、そしてハーレムの女たちが、この宮殿で実際に暮らしいたのだ。
なんだか、不思議な気がした。

が、世界的な観光名所、とにかく観光客でいっぱいで、写真を撮るのも一苦労。
というわけで、本日は、絵葉書の写真をお楽しみください。





ギター曲「アルハンブラの想い出」なぞを聞きながら・・・・。










  


この路地の先に・・その15

2009年11月13日





昨日、教会前で出会った日本人バックッパッカーの女性Sさんと三人で
夜の12時にバレンシア駅から夜行列車に乗り、グラナダへ向けて出発した。

8人乗りのコンパートメントに6人が乗り込み、なんだかうるさくて私は一睡もすることが出来なかった。
でもそのお陰で、みんなが夢の中にいる間、広大な畑の向こうから昇るうつくしい朝日を
独り占めすることができた。

朝10時50分にグラナダに到着。
この日は、ジプシーのサクロモンテの丘を上り、アルバイシンの迷路をサンニコラス広場を探しながらさまよい歩いたのですっかり疲れてしまったが、
この広場から見たアルハンブラ宮殿は、シエラネバダの山を背景に堂々とした佇まいを見せていた。




今日アンダルシア地方に入り、やっと私たちがイメージしていた、眩しい太陽、白い壁とパティオの家といったスペインらしい風景にたくさん出会う事が出来た一日だった。







次の日いよいよ憧れのアルハンブラ宮殿へ。




アルハンブラ宮殿は、今まで見てきたカソリック教会建築とはまったく異なる建造物だった。これがアラブか。

次回へつづく・・・。
  


この路地の先に・・その14

2009年11月09日









美しい海を眺めながら、のんびりマヨルカ島で3日間ほど過ごした。
沖縄に行った事がなかった私にとっては、今までの人生で見た一番美しい海だった。

この旅も、約半分が過ぎようとしている。とにかく、ここまでいろんな人に助けられながら、無事に旅をしてこられたことに感謝。


今日も、スペイン広場で満員のバスから降りられなくて困っていたら、周りの中学生ぐらいの子供たち、がみんなで、運転手さんにブーイングを出して降ろしてくれた。


しかし、その後、乗り換えたバスが渋滞にかかり、飛行機に乗り遅れそうになった。
カンウターでは、もうだめと言われたが、なんとか泣きついて乗せてもらった。



ほっと一安心、座席に着くと、お隣の若い男性から話しかけられた。
その人は、ブロンドの髪に、吸い込まれそうな青い目のフィンランド人で、モデルか映画俳優のようにすごく素敵な人で、私のテンションも、急上昇↑。

しか~し!
話を聞いていると、今日は結婚記念日で、スチュワーデスである奥様のフライト先で一緒にお祝いするために、バレンシアに向かっているとか。

「オウ、レアリー?コングラチュレイション!」とか、なんとか言ったものの
私のテンションは急転直下↓、奈落の底まで落ちたのであった。

そんなこんなで、あっという間にバレンシアに到着。
次の日は、メーデーだったので、どこも休みであまり見る物もなく、たまたまやっていた野外コンサートで意味の全く分からないスペイン語の歌を聞いてぼ~っと過ごしたが、それなりに楽しかった。


  


この路地の先に・・その13

2009年10月09日








アンドラ王国から思いがけず、早い時間にバルセロナ空港に到着したので、予約を変更してもらい、すぐにマヨルカ島に向かった。
なんだか、島ということで暖かいのかと思ったら、ここも結構寒かった。
いつになったら、私が想像していた太陽のまぶしい情熱のスペインと出会えるのだろうか。

今日の宿は、安くて、オーナーのおじさんもとっても親切でよかった。
宿のすぐそばのすばらしいカテドラルを見学した後、しばらくぼ~っと地中海を眺めていた。風がなかったら、もう少しは暖かくて気持ちが良かったのに。

通りへ出ると、何やら賑やか。今日は、フォークダンスのフェスティバルだそうだ。
何もしらないままやってきた私たちであったが、たまにはいいこともあるものだ。







色んな国や地方のフォークダンスのチームが目の前を踊りながら、通り過ぎて行く。
衣裳もとっても、かわいい。






↑ん~これはちょっと、志村けんか?!という感じ。

今日は、とってもいい日だった。明日は、ショパンもしばらく滞在していたという
バルデモサの村へ行ってみることにしよう。




海の近くのカテドラル



ショパンが恋人と住んでいたバルデモサの教会



  


この路地の先に・・その12

2009年09月12日

マヨルカ島に行く前に、もう一ヶ所行ってみたい所があった。
スペインとフランスの間に挟まれた小国、「アンドラ王国」だ。

ガイドブックには、とりわけ見どころもないというような事も書いてあったのだが、
税金も軍隊もない平和な国を見てみたかった。

ガイドブックに書いてあった通りに行ったつもりだったが、汽車を降りて
駅員さんに尋ねたところ、「バスは一日一本で、もう出たよ。」とのこと。
「駅の前の宿に一泊して明日行くか、ひとつ前の駅まで戻れば、まだバスがあるからそれで行くかだね。」と言われた。
(梅子自動翻訳機によるものです)

気がつくと、確かに周りから聞こえてくる会話はいつしかフランス語になっていた。
いつの間にか、フランス側に入っていた私たちは、またパスポートを見せるのが大変なので、隙を見てフェンスがちょっと開いているところから、駅のホームに戻った。

再び汽車に乗り、ひとつ手前の駅まで戻ると、車内清掃のおじさんが私たちをアンドラ行きのバスまで案内してくれ、バスの運転手さんに
「こいつらを、アンドラまで頼むよ。」と声を掛けてくれた。
さっきの駅でお世話になった駅員さんが、お掃除のおじさんに私達の事を頼んでくれていたのだ。親切な人たちに出会い、他力本願のみで旅をしているような私達であった。








アンドラ王国は、きれいでのどかな国だった。雪の冠をかぶったピレネーの山の美しさと、澄んだ空気に、心が洗われるようだった。

と、ここまでは良かったのだが、明日のバスの時間を聞くため、インフォメーションに行くと、「明日は、ストでバスも汽車も動かないよ」とのこと。
もう~いい加減にしてよ!!なんで、こんなにストばっかり?!
とにかく明日中にバルセロナに帰らないと、マヨルカ行きのチケットがパーになってしまう。
明日帰る方法は一つだけ。朝8時に直接バルセロナ空港に行く、ミニバスが出るということで、仕方なく3000ペセタも払ってチケットを買った。
お金も無くなって、せっかく免税の国なのに買い物もできず、おまけに4月末だというのに、雪まで降り出す始末。

さっきまでの、すがすがしい気分はとうに消えうせ、来なきゃよかったと後悔している私達であった。
乙女の心は、ピレネーの山の天気のごとく移りやすいのだ。こんな夜は早く寝るに限ります。
  


この路地の先に・・その11

2009年08月30日

今日は、地中海のバルコニーと呼ばれているタラゴナへやって来た。しかし、毎日、よく雨が降る。せっかくの、素晴らしい眺めが、霞んでいるのは残念だ。
日本で持っていたイメージ「情熱の国スペイン」とは、ちょっと違う顔を私たちには、見せたかったのかもと思うことにする。

お天気はともかくとして、この町も素敵なところだった。
紀元前のローマの遺跡がいたるところにあり、現在でも人が住んでいたりするのだからびっくりだ。

カテドラルのギィジェンの祭壇彫刻は素晴らしかったし、考古学博物館もなかなか楽しかった。

考古学の道パセオ・デ・アルケオロヒコをのんびりと散策すれば、ローマ時代の哲学者になったような気分になるかと思ったが、とってもお腹が減った。

帰りにシッチェスに立ち寄り食事をした。ここのレストランで食べた、ロブスターのスープは絶品だった。私の中の、スペイン3大美味に登録決定確実。
今のところ、あとの2つは、セゴビアの豚の胎児の丸焼きとコンポステーラの生ガキが最有力候補だ。
普段は、公園や移動中のバスの中でパンをかじったりしている私たちだが、たまにはおいしい物も食べないとね。

バルセロナに帰って、旅行代理店でマヨルカ島行きのチケットの予約をした。残念ながら、船はストライキ中とかで(またかよ!)飛行機で行くことになり、出費大となったのであった。





素敵な水飲み場。あちらこちらにあるローマ時代の遺跡が今でも使われている。

  


この路地の先に・・その10

2009年07月30日






スペイン広場から出ているカタルーニャ公営鉄道に乗り、バルセロナ近郊の町、モンセラを訪ねてみた。
モンセラは、広い田園にいきなり巨大な岩山がそびえ立つ不思議な所だ。
その岩山の中腹に人工的に作られた平地があり、大修道院が建っている。
駅からそこまでは、修道院直営のロープウエイに乗って行くのだ。

運よく修道院に入ったところで、ミサと聖餐式が始まり、厳かな讃美歌を聞き、こちらでは有名な黒いマリア像を見た。
ここのマリア像は、長い年月の間にろうそくの煤によって黒くなったそうだが、
メキシコに行ったとき、クリスマスに飾る人形を購入しようとしたら、イエスさまも、天使も黒い肌だったのには、驚いた。
初めて、日本が真ん中にない世界地図を見たときと同じ衝撃だった。


天使は、金髪に白い肌、世界地図は全部日本が中心。

当たり前と思っていたものが、実は自分勝手な価値観だったという体験を海外ではする機会が多いかもしれない。

外に出て、売店でここの名物らしいカステージチーズに蜂蜜をかけたものを食べたら、おいしかった。


ここで、マドリッドで出会った日本人の女の子に偶然再会。
彼女、手にLPレコードを持っている。聞くと、気に入って購入したらしいのだが、これから先ずっとレコード持って旅するのかな~?邪魔になりません?
こういうのを、熊本では「いらん世話」と言います。



  


この路地の先に・・その9

2009年07月08日

お話の続き  スペイン編



朝、なごりおしいサンチアゴを発った私たちは、夕方レオンという町に降り立った。
レオンは日本語でいうライオン。橋のたもとにあるライオンの像の前でとりあえず記念撮影をした。

次の日は、三大カテドラルのあるブルゴスへ。
そして、いよいよ寝台列車に乗り、大都会バルセロナへ旅立った。
と、ここまで私たちにしては順調に旅は進んでいただが、やはりそううまくはいかず、バルセロナ行きの列車は4時間待たされ、しかもなぜか、朝4時にいきなりおこされて、サラゴサで降ろされた!
ありえないけど、スペインではありえる、いきなりのスト突入。

そんな、スペインの国鉄事情にもう慣れてしまっていた私たちは、
「はいはい、またバスね。」という感じで、
他の乗客と一緒にバスに乗り込んだ。
結局汽車より早く着いたし、寝台車分の料金は返還してくれたので、まあ許そう。


バルセロナはさすが、都会。田舎ではほとんど見かけなかった日本人もたくさんいる。



「日本人はマナーが悪い。外国の人を見ると、外人と言ってじろじろ見たり指をさしたりする。」
と聞いたことがないだろうか?
スペインの田舎ではそんなもんじゃなかった。
物珍しそうに見られるのは当然のこと、わざわざ車をバックさせてきてまじまじと眺められたり、
子供たちからはいつも「チーノ、チーノ(中国人)」と指をさされるし、
「KARATE!」とか、「ジャッキーチェーン!」だの、「ブルース・リー」だの色々な事を言われた。

面白いのは、「チーノ!」と言われて「ハポネッサ(日本人)よ」と言うと、ちょっと子供たちの態度が変わるのだ。
「ちょっと!日本人だってよ・・ひそひそ・・」みたいな感じで。

スペインには「ハポン」という苗字の人たちもいて結構日本人には友好的でちょっと尊敬されていたりもするのだ。



黒髪の人たちが多いスペイン。私たちもよく後ろから「セニョリータ、セニョリータ。」と呼び止められた。
振り向くと一瞬、ギョっとした顔をするのだが、それでもめげずに、私に道やバスの路線を聞いたりするおばさんたちは、
ちょっと不可解だった。
見るからに外国人の私に聞かなくてもと思うのだが・・。


とにかく、バルセロナではそんなこともなく、ガウディーのサグラダ・ファミリア教会に感動したり、ミロの作品を見て回ったり充実した時間を過ごした。











           スペインのかわいい悪ガキたち  


この路地の先に・・その8

2009年06月01日





                     親切に道案内をしてくれた地元の漁師のおじさん







お待たせしました。大昔の旅のお話の続きです。
スペイン編


ここコンポステーラにいる間、ほんとに雨ばかりだった。
降ったり、止んだりを繰り返す天気のせいで、日本にいるときは、一年で一回見るかどうかの虹を、一日うちに何度も見ることができた。


今日は、ラ・コルーニャという町に行ってきた。
この町の人は、本当に親切で優しかった。豊かな雨とそれに育まれる緑、そして美しい海のせいなのだろうか。




ガラスの街と呼ばれているマリーナ大通りで出会った地元の漁師の太っちょおじさん。
英語は出来ないと言いながらも、一生懸命この街の見どころを話してくれて、とうとうサン・アントン城まで連れて行ってくれた。
アントン城では、見学に来ていた大学の先生らしい人と学生さんが時間を割いて、博物館を案内して色々な事を説明してくれた。
16世紀に要塞として建てられた城だが、ローマ時代のものなども展示されていた。
一番印象に残っているのは、城の地下にあった牢屋だ。
潮が満ちると、囚人は溺れ死ぬ仕組みだとの説明に背中がぞっとした。



二人にお礼を言い、エルクレスの塔へ向かう。坂道を上ると、そこには大西洋が広がっていた。
この塔は、なんと2世紀ローマ時代に建てられた灯台だ。
18世紀に外部の修復がなされてるとはいえ、2世紀の日本って何時代?




荒れた大西洋から吹きつける風は冷たかったけど、地図を広げただけで、「どこへ行きたいの?」と話しかけてくれる人たち
、帰りに間違ったバスに乗った私たちを正しい路線まで無料で乗せって行ってくれたバスの運転手さん、
やさしい日本びいきのホスタルSUSOのおじさんとお兄さん。
そんな人たちとの出会いが私達の心をぽかぽかにしてくれた、なんだか心温まる一日だった。

この街にずっといたい気がするけど、明日はまた次の町へと出発だ。まだまだ、先は長いのだから。


お話の続きはまたいつか・・・。





  
タグ :スペイン


その路地の先に・・その7

2009年05月14日

スペイン食事編



貧乏旅行の私たち、レストランで食事をするのは原則として一日、一回。

あとは、公園や移動中のバスや汽車の中で自分たちで作ったサンドイッチなどで済ませた。
メルカード(市場)に行って、パンや生ハム、果物などを調達するのも楽しかった。
サンドイッチを作るのに使うマヨネーズも、日本の様なチューブではなくガラスの瓶に入っていたし、美容と健康のためと買ったオレンジもキロ単位で(一キロが100円ぐらい!!)、私たちは、いつもリュックを担いで手にはマヨネーズやオレンジの入った袋を、ぶらぶらとぶら下げて旅していた。

庶民的なレストランにはたいてい、メヌー・デル・ディア(本日の定食)がある。
安い料金で、飲み物、サラダかスープ、メインディシュ、デザート、コーヒーなどが付いていて、それぞれ2,3種類の中から選ぶことができたりする。
飲み物も、水でもワインでもおんなじ値段だ。レストランによっては、一瓶どんっと置いていってくれるところもあった。

コンポステーラでたまたま入ったレストラン、TIXOLA。
私達のほかにはお客さんもいず、ちょっと不安だったが、おじさんがとっても親切だった。
私達のため、まず音楽をかけてくれ、わざわざ食材を見せてメニューを一生懸命説明してくれた。一番安い定食にしたにもかかわらず、おじさんは終始にこにこ顔。
海の幸がおいしい街なので、生ガキも頼んでみた。当時、一個100円でとってもおいしかった。
「デザートは00000か、xxxxxのどっちにする?」と聞かれ、わからないまま
聞いた感じ、おいしそうなxxxxxにした。
何が出てくるか、わくわくしながら待っていると、


皿に載せられた一本の「バナナ」がうやうやしく登場したのには爆笑だった。


おじさんと握手をして店を後にした。今も元気でいてほしいな。






モロッコとかでは、お腹こわして、大変な目にあったこともあったけど、地元の食べモノに挑戦するのが旅の醍醐味ですよね。




パエリアはよく食べました。こんな豪華じゃなかったですが。




安くておいしいバレンシアオレンジ。  


その路地の先に・・その6

2009年04月23日



お話の続き・・スペイン編


二昔前の、ちょうど今頃、私は友人と二人、マドリッドから寝台列車に乗り込みスペインの北部サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かっていた。

寝台列車は、ちょっと贅沢をして一等車の切符を買ったので、狭い個室の部屋には洗面所や電話も付いており、ルームサービスなども受けられるそうだ。もちろん、貧乏人の私たちがルームサービスなど利用することはないが。
朝にはちゃんと起こしに来てくれるというので、ストに辟易していた私たちは
「ちょっと見直したよ、レンフェ。」という感じだった。



スペインと言うと、情熱、太陽というイメージがあるが、サンティアゴには、フラメンコも闘牛もない。
公園には椿の花が咲き、ちょっと日本的なところのある落ち着いた町だ。
雨も多く、私たちは一日のうちに何度も虹を見ることがあった。



巡礼の町として有名なこの町を、その昔800キロの道のりを歩いて大勢の信者が命がけで目指した。
カテドラル(大聖堂)には今もたくさんの信者が訪れている。
今日は何か儀式が行われており、パイプオルガンの厳かな音色の中、男性が大型の香炉を振り回すのを見ることができた。



ヤコブ像の真後ろに行くための行列があり、みんな像を後ろから抱き締めマントにキスをしていた。
私の後ろに並んでいた女性が

「両手で抱きしめて、マントにキスをするのよ。そしてその時、ひとつだけ願い事をお祈りするの。」
(梅子自動翻訳機による)
と教えてくれた。


何世紀ものの間、巡礼者たちが手をおいて祈った教会の柱は、五本の指の形に擦り減っていた。
熱い信仰をもったはるか中世の人々に思いをはせながら、私もその上にそっと指を重ねてみた。


続きはまたいつか・・・。
  


その路地の先に・・その5

2009年04月09日

スペイン編の続き


安い宿も見つけ、しばらくはマドリッドを拠点に近郊の町に小旅行。

その日は一泊でラマンチャのあのドンキホーテが向かって行ったような風車を見に行く計画を立てた。
まずは、スペインの国鉄レンフェの一か月乗り放題パスみたいなものを購入。
窓口では、「キャッシュか?カードか?」と聞かれたスペイン語がわからず、戸惑ったがなんとか無事買うことができた。窓口のおじさんと隣に並んでた人が一生懸命、現金とカードを見せて説明してくれるもんだから、隣に並んでいたおばさんが笑ってたっけ。

有名な観光地や名所もたくさん訪ねた旅なのに、覚えているのは、言葉の通じない人たちから受けた親切や笑顔の方が多い。不思議なものだ。


かなり長い時間、駅で列車を待ちそろそろホームへ出ようという時になって、案内板からいきなり私たちが乗るはずだった汽車の表示が消えてしまった。
「何で?何番ホームか分からなくなったじゃん!」
インフォメーションには長蛇の列。これじゃ間に合わない。
こうなれば、その辺にいる人に聞くしかないでしょ!!

近くを通りがかったおばさんに切符を見せながら、当然日本語で
「ここに行きたいんですけど、どこのホームにいけばいいんですか?」
「急に案内が消えちゃたんです!!」

そのおばさんは、切符を見てスペイン語でこう話した。
「あら~、私いまここに行く人をお見送りにきたのよ!!
ほら、あそこを歩いている人たちよ。あの人たちについていけば大丈夫よ!!」

(これはすべて私に内蔵されている梅子自動翻訳機*によって翻訳されたものです。)

***梅子自動翻訳機とは、その場の状況と想像力および勘80%、英語、スペイン語の知識20%をフル回転させて働く高機能の翻訳機です。しかも、スペイン語はほとんどが食べ物の単語で構成されています。***


その人たちに付いていって、着いた所はなぜかバスターミナル。
「???」
切符をバスの運転手さんに見せるとうなずいて「乗りなさい」の合図。
「もう、何?!わけわからん!!」
そのうち、なんとなく「突然汽車はストに入ったらしい」ということがわかってきた。
日本では信じられないが、これがもうしょっちゅうで、ほんとこのストには泣かされた。

一度は寝台列車で、夜中にいきなり起こされてバスに乗り換えさせられたもんね。
みんな、たいして文句も言わないんだから、お国柄なんですかね~。

バスはブドウ畑の中を走り続けていたが、空腹に耐えかねた乗客からついにブーイングが出始めた。乗客たちは、やっとあった一軒のレストランの前に無理やりバスを止めさせると店の中へと消えって行った。わたしたちは、みんなが満足してまたバスに戻って来るまで、バスの中で持っていたパンなどで空腹を満たした。

結局、ガイドブックには汽車で2時間と書いてあったカンポデ・クリプターナに着いたのは、駅を出て6時間後、朝ホテルを出てから10時間が経っていた。長い一日だった。

続きはまたいつか・・。





         スペインの時間はゆっくり過ぎていきます。まだロバも現役です。
  


この路地の先に・・その4

2009年03月27日





お話の続き



マドリッド、第一日目の朝。
淡い期待も裏切られ、やっぱりバスルームのドアはぴくりともしなかった。
仕方ないので、H美さんがボーイさんを呼んで来てくれた。
事情を理解した彼は、針金みたいなものでこちょこちょっとやってくれて、無事ドアはあいた。

思えば日本を出発してから今まで、なんだかんだトラブル続きだ。行く先、多少の不安もあるが、これ以上のことはそうそうないだろう。

まずは、銀行に行って両替、それから今日からの安い宿を探さなくては。

荷物の整理を始めると、なんか、リュックの一番上のポーチ程の大きさの収納部分がすかすかの様な気がした。


ここに何入れてたっけ?
あっ!!あれがない!!え~なんで?!


私たちは、成田からマドリッドに行く途中モスクアで乗り換えのため、ホテルに一泊しなければいけなかったのだが、荷物はモスクアで私たちの手元に帰ることなく、直接マドリッド行きの飛行機に積み替えられた。
(それを知らなかった私たちは、モスクアのホテルでちょっと困ってしまった。)

これは、後に知り合った日本人バックパッカーの人から聞いた話だが、モスクアの空港での積み替えの時、バックパックなどの鍵のかからないものは、中身を抜かれることがあるそうなのだ。
その彼女は、カメラが無くなっていたと落胆していて気の毒だった。




とある、モスクアの家庭。

テーブルの真ん中には容器に入った赤い、丸い物体が十個ほど置かれている。
テーブルを囲む、小さな男の子と女の子、そしてブロンドの美しい母とがっちりとしたたくましい父。
「ねえ、パパ、これ何?」「食べてもいい?」
「ちょっと待て!!パパが調べてからだ。」
お父さんは、その赤いものを眺めまわし、匂いを嗅いでみる。
おもむろに口の中へ・・。

「グエッ!!なんだ、これは!!」すぐ吐き出したものの、あまりの酸っぱさに口の中は唾液でいっぱいになった。
キッチンでごくごくとコップの水を飲む父をダイニングから見つめる家族の顔には、落胆の色が濃くにじみ出ていた。





あ~あ天罰ですね、私の大切な梅干しを盗んだ。



まあ、梅干し一つでここまで妄想させていただいて元はとったかな。
それと、日本茶のティーバックと、帽子も無くなっていたんですけど・・・。
海外では、貴重品は必ず手荷物にすることをお勧めします。

続きはまたいつか・・・。




  
タグ :マドリッド


この路地の先に・・その3

2009年03月17日

この路地の先に・・その3


ホテルの外へ飛び出してみたものの、当然のことながらタクシーの姿はもはやなく、通りは他に走る車もなく静まりかえっていた。
しばらくの間、小太りのあきれ顔のポーターのおじさんとH美さんと三人、ボー然と歩道に立ちすくんでいた。

と、その時、向こうから一台の車のライトが近づいてくる。

あれは、まさしく私たちが乗ってきたタクシーではないか!

お兄さんはどこかで車をUターンさせ空港に引き返しているところだった。



手を振る私たちに、はじめは別れを惜しんでいると思い手を振りかえしかけたお兄さんだったが、私たちの必死の形相とジェスチャーに、トランクの中身の事を思い出してくれたようで、「あっ!!」という表情で車を止めてくれた。




そんなわけで、なんとか私たちの手元にリュックは帰って来てくれたのであった。

やっと部屋に入り、シャワーを浴び、寝る前にもう一回バスルームに行こうと思ったらドアが押しても引いても蹴飛ばしても開かない。どうやら中から鍵がかかってしまったらしい。

もう、なんなんだあ~。時計を見ると、すでに2時半。


もう、寝ようっと。

明日の朝になったら、ドアが開いてるかもと淡い期待を抱いて眠りについた。

長い一日であった。



その時は、リュックの一番うえの部分に入れておいた、私の大切なものが消えていることにはまだ気付いていなかった。



続きは、またいつか・・・。
  


この路地の先に・・その2

2009年03月12日





この路地の先に・・・。その2


どうしたものかと二人で相談していたら、モスクワで知り合ったご夫婦が
「ホテルで両替するから、タクシーに乗せてほしい。」というスペイン語をおしえて下さった。幸い、第一日目のホテルだけは、日本から予約していたので、タクシーに乗れさえすれば何とかなりそうだ。

捕まえたタクシーの運転手さんは、まだ20代ぐらいの若い優しそうな青年だった。
私たちの、たどたどしいスペイン語もなんとか通じたらしくタクシーに乗りホテルへ向かった。

日本でいうと、ビジネスホテル程度の小さいホテルだったが、フロントのお兄さんたちは夜中にかかわらず、満面の笑みで異国からの客を出迎えてくれた。

「日本で予約して来ました(スペイン語)。」         
(にこにこ)

「両替してください。(スペイン語)」            
(えっつ!)

「タクシー待ってるんですよ(日本語&ジェスチャー)。」  
(おまえ、できるか?  いや、おれもよくわからん。焦!)


小さなホテルのお兄さんたちはそんな事に慣れてないらしく、かなり手間取っている。
私たちは、タクシーのお兄さんを待たせているので気が気でない。


そこへ、突然頭にターバンを巻いた謎のインド人(たぶん)が現れた。
日本語もスペイン語もぺらぺらの彼の手助けで、なんとか両替ができた。そして彼は、にこやかに手を振りホテルの中へと消えっていった。
こんな夜中に、日本語もスペイン語も出来る人がここに現れるというのは、ほぼ奇跡に近いことだ。あの謎の人物は、きっと神様が私たちを助けるため送って下さった天使だったにちがいない!!(そんな天使にこの旅の中で私たちは幾度となく助けられるのであった。)


無事タクシーの料金プラス多少のチップをお兄さんに渡す事ができ、お互い「グラシアス!」を繰り返して別れた。


さて、部屋に行くとするか。

H美さん「ねえ、荷持つはどこ?」

がーん!!!!!タクシーのトランクの中じゃん!!
お兄さんリュック下ろさんで帰っちゃたよ!!



旅の第一日目から、すべての所持品を失う事になるのか?!


続きはまたいつか・・・。



  


この路地の先に・・・その1

2009年03月11日



本日の熊日新聞、ご覧頂けたでしょうか?

美麗世代に馬見原の特集が載っております。
若山牧水の歌碑の写真の下に小さな店が写っている写真がありますが、実はそれが私の店です。

ちょうど、店のほぼ向かいにその歌碑があり、周りにはブルーベリーや紅葉の木が植えてあり、後ろには宮崎県の山々が見えるとっても眺めのいいところなんですよ。ぜひ、馬見原散策においで下さいね。


話は変わって
今日から、超方向音痴なくせに、
「この路地の先にはまた素敵な景色や出会いが・・」と
世界のあちこちで迷子になった若かりし頃の私の珍道中物語を不定期でお送りしたいと思います。





会社の皆さんに別れを告げたその足で、私はレンタルショップに行き、でっかいリュックを借りた。アパートに戻り、今までコツコツ準備して畳に並べておいたものをそのリュックに詰め込み、背負ってみた。

「・・・・立てない。」再び荷物を必要最低限に絞りこみ、なんとか背負えたものの、歩いて5分ほどの最寄りの駅まで歩けるか一抹の不安を抱きつつ明日に備え、早めにベッドに入った。

翌朝、博多駅で実家の父への手紙を投函。
「この間、お見合いした人には断りの連絡入れておいてください。しばらく、ヨーロッパに行ってきます。」地震、雷、火事、親父が未だ健在の我が家では、父に言われるまま行ったお見合いであったが、どうも気が進まなかった。母を早く亡くした一人娘を、さっさと嫁にやって、ほっとしたい父の気持はわかってはいたが。
そんな時、同じ会社に同じ派遣で働いていたH美さんと旅行に行こうということになったのだ。父は当然一週間ほどの旅だと思っていたらしく、それから約2か月間行方不明になった娘を一時は死んだとあきらめたと後で聞かされ、悪かったとは思いつつも言えば許してくれるはずもなかったのだから、まあ仕方がない。帰ったとき怒られるのを覚悟で、H美さんと二人スペインに旅立った。

貧乏旅行の私たちは、一番安い○○○フロートのチケットを買っていた。(後でアメリカ人の友人にその話をしたら、信じられない!って顔をされたぐらい悪評の航空会社だった)
モスクアのトランジットホテルは最悪だったけど、窓から見たツンドラの平原に沈む夕日は、今でも忘れられないぐらい大きく美しかった。


翌日、モスクワを立ちスペインに向かったが、さすが○○○フロート、トラブルのため空港でさんざん待たされ、午前中には着くはずだったのに、マドリッドに到着したのはすでに夜中に近かった。
そこで、困ったことに気が付く。空港の銀行で両替しようと思っていたので、私たちはスペインのお金を1ペセタも持っていなかった。しかし、銀行はとうに閉まっている。これでは、タクシーにも乗れないではないか。
知っているスペイン語は1から10までの数字と「オラ!(ハーイ)」、「グラシアス(ありがとう)」と「アミーゴ(友達)」程度のひどいレベル。どうすんだよ~!!



ラマンチャの丘にたたずむ女   (ちょっとカッコ良くないですか)

                            続きはまた今度・・・。