楽しい馬見原商店街♪パート3

梅子

2009年06月19日 22:17

馬見原商店街めぐりも、やっとうちの店に辿り着きました。



「岩城屋」は大正元年創業、主人が4代目店主となる建材、金物、日用品の店です。
建築資材から、電化製品、爪楊枝までハン○マンにも劣らない品揃え、地元の人たちのお言葉を借りると
「ここにゃ~うまん(馬の)角以外、なんでんあんな~!!」といわれる田舎のデパートです。
去年、熊本のローカル番組に出させていただいた時、いのしし罠にレポーターの方も、驚いていらっしゃいましたが、普通に売れてます。

戦前は食料品店だったらしく、主人のおじいさんは子供の頃、修学旅行でシイタケなどを持参し、旅行先で売り、そのお金で筍を仕入、今度は馬見原で売ったなどの逸話も残されています。
近くの銅山にも、売店を出していたようで、その頃の台帳なども残っています。





ちょっとこれも、すごいでしょう!「いつの新発売かい!!」とツッコミ入れたくなるしろものです。数週間前まで、店の隅にさがっておりました。たぶん40年間ぐらい・・・。



他にも、我が家で見つけたレトロなグッズを展示しております。






熊本で最初に陸軍大将になられた、林仙之将軍をご存じでしょうか?
林大将は、お隣の旧清和村のご出身で、幼少の頃より神童と呼ばれ、陸軍学校を首席で卒業、そのご褒美として陸軍学校校長の一人娘さんをお嫁さんとして頂かれたそうです。
林大将が書かれた「政清人和」~まつりごと清ければ、ひとおのずから和す~の扁額より
清和村の名前が付けられました。(今の政治家の方々に聞かせたい言葉ですね。)清和文楽館に遺筆の刻まれた記念碑が建っておりますので、探してみてください。

この、林大将の母上が「岩城屋」の娘カソさん(天保12年生まれ)です。
カソさんは、林兼八さん(弘化3年生まれ)と駆け落ちし、5人の子供をなし、それぞれ東大から大蔵省官僚や、安田火災保険(帝国海上火災保険)社長となられるような優秀な方々に育てられたそうです。
岩城屋はその後、子供に恵まれず養子を迎えた世代もあり、その素晴らしい血筋は
我が息子たちには、残念ながらまったく一滴も受け継がれておりません。
でしょうね・・・。




林陸軍大将と弟さん  主人の祖父と父、伯父


観光とは全然関係のない商店も、こんな歴史を聞くとまた違った目で見ることができますね。江戸時代から続く商店街ですから、それぞれの店にいろんな歴史やロマンがあるかもしれませんね。そんな、お話をお店の人に聞きながらののんびり旅も、またあたらしい旅のスタイルの一つではないでしょうか?


そして、そのお隣に磯巾着のようにくっ付いているのが私のお店、創業一年一か月前の
手ぬぐい、小間物 馬見原「いわしろや」  です。
3人もお客さんが入れば身動きとれないぐらいの小さなお店です。
しょっちゅう、店の前を歩いている人が、開店半年ぐらいしてから、やっと気がつてくれたぐらいの店ですので、(さすがにあんまりだろ!!と思いましたけどね。)気をつけてないとすぐに通り過ぎてしまいますよ。
そんな、ちっぽけなお店ですが、私の好きなものばかりが並んでいます。商売人としては失格です。でも、「この店に来るのが、ホントに楽しみなんです。」と毎月お給料が出るたびに、何か一つ自分のためにと買って行ってくださるKさん、「お金持ちになったら、ここのものぜ~んぶ買い占めたい!!」といいながら、おこずかいを握りしめて来てくれるかわいい中学生の女の子、「素敵なお店ですね。」と私と同じ感性を持っていらっしゃる観光客のお客様のうれしい言葉に支えられて、日々を過ごしています。
ず~と昔から我が家にあった箪笥や茶棚たちがディスプレー台として活躍してくれています。主人が小学校の頃、使っていたオルガンも。
馬見原商店街にお越しの際は、ちょっとのぞいて見てくださいね。

では、次回は我が家のお隣、「イヅノヤ」さんなどをご紹介します。
早速、取材にいかなきゃ!!

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