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テーマソング
2009年05月28日
おとといの夜、肉の宮部さんのご主人「桜太郎さん」と、私の親友でもある奥様「桜子」
さんと楽しいお酒を飲みました。
馬見原をこよなく愛するお二人。
街づくりや商店街活性の話になるといつも、盛り上がります!
アイデア満載の桜太郎さんには、いつも感心することばかりです。
今回は、「馬見原商店街のテーマソングがあったらいいと思わん?」とのこと。
「それ、いいね~。」
昨日、ご飯作りながら、つい作詞してしまいました。
白壁と石畳の馬見原の街を歩けば
初めてなのに、なぜか懐かしい
小さな白いブルーベリーの花を揺らしたそよ風が
私の耳元で「おかえり」とささやいて通り過ぎて行った
川のせせらぎと子供たちのはしゃぐ声
子供のころの自分に出会える気がする
そんな…
ここからがどうも、思い浮かばないんですよね。商店街っていう言葉を入れるとなんか演歌くさくなるし。
私としては、ユーミン調、もしくは「センタープラーザ~♪」的な感じの曲がいいと思うんですが。
どなたか、続きつくりませか?報酬はありませんのであしからず。
ところで、福岡のみなさま、朗報です!!
熊本では、知らない人はいない「肉の宮部」の桜コロッケ(馬肉のコロッケです)を
桜太郎さんが、5月30日と31日の二日間、福岡市役所の広場で行われる
「熊本こだわり市」で販売します。
ぜひ、ぜひ面白いおじさんの顔を見に行ってやって下さいませ。よろしくお願いします。
薔薇
2009年05月26日
子どもたちには、大不評のこのバラ。キャッチボールの邪魔、とげが刺さると文句言われ続けてます。
「美しいものには、棘がある・・・。」
「なん、それ?」
「大人になれば、わかるよ。」
「ふ~ん。」
キッチンにも、飾って見ました。和みます。
とっくに、挫折したイングリッシュガーデン。
雑草で、ジャングル化しつつありますが、遠くから写真でみれば、
ターシャ テューダの庭に見えない事もないかな。
無理か・・・・・。
初夏の装い
2009年05月24日
手ぬぐいをメイン商品にしている私の店ですが、他にもかわいいものがいっぱいです。
夏らしいバッグやネックレス、ブレスレットなども入荷しました。
リーズナブルなお値段で提供しています。
バッグ(3990円)ネックレス(1980円)小さい店ですのでほとんどが1点のみの仕入れになっています。
携帯電話を落とした時にカメラのレンズが壊れてしまって、写真が奇麗に写らなくなってしまいました。
私用のデジカメ買わなくては・・思っています。
もちろん、手ぬぐいも夏らしい柄が入っています。
手ぬぐいとお揃いの眼鏡ケースなどとってもおしゃれです。
ビール柄、額に汗して頑張っているお父さんに父の日のプレゼントにぴったりですね。
昨日は、車で2時間かかる遠い所よりわざわざ手ぬぐいを買いに来てくださったお客様がありました。
本当にありがたいです。今日が息子さんの、百日のお祝いとか。
健やかなご成長をお祈りいたしております。
青春のピラミッド
2009年05月22日
先週の土曜日、次男の通う、蘇陽中学校は体育大会でした。
その数日前、
「お母さん、背中が痛い。どうにかなっとらん?」
背中を見ると、水膨れのようになっていて、服が擦れても痛そうな状態。
でも、あえて優しい言葉はかけず、
「あと、2,3日だけん、がんばんない!」と励ましておきました。
今年蘇陽中3年生は、毎年恒例の男子の競技「筋肉展覧会」(組体操)で初めて
6段ピラミッドに挑戦することになり練習を重ねていました。
体育の先生が電話で尋ねたすべての中学校で6段ピラミッドはやらせたことがないとのこと。
もし、これが成功すれば、子供たちにとっても、いい思い出になりそして自信にもつながることでしょう。
うちの次男は一番下です。背中の痛さは尋常じゃなかったことと思います。
そして本番、女子生徒や父兄の
「がんばれ!ばんばれ!」の掛け声に応え無事成功、運動場は大歓声に包まれました。
もう一つの、見せ場は、応援合戦です。
息子マッキーは白組応援団長という重責を担っていました。
家庭では、幼いころは「不思議君」、今は「ジェントルマン、マッキー」と密かに呼ばれている彼が、あんな大きい声でめちゃかっこいい演武を見せるとは!他のお母さん方からも、「かっこよかった~!!」と言っていただきました。
演武はよかったのですが、一年生が叩いた太鼓が、緊張のあまり間違いだらけで残念でした。
でも、反省会の時、先生にそのことを指摘されると
「任命した僕に責任があります。」と言ったと、先生が感激しておられました。
元気者の長男と三男に挟まれ、ちょっと弱々しく思えてた次男ですが、いつの間にか
立派な男に成長しておりました。
餃子の数
2009年05月21日
昨夜の我が家の夕飯のメニューは餃子でした。
80個できました!!これが次々に食べざかりの息子たちの胃袋に収まっていきます。
長男がいた時は、100個作ってました。
来年次男がもし出て行けば60個になるんでしょうかね。そしていつか三男が・・・。
出来上がった餃子を見て多少しんみりしてしまいました。
我が家の餃子は
キャベツ、にら、ニンニク、ほしシイタケ
酒、オイスターソース、鶏がらスープの素、醤油、ゴマ油、砂糖少々が入ります。
おいしいですよ~!!
アツアツの餃子を頂きつつ、TVの週刊山崎くんで水俣商店街の皆さんの頑張りを拝見しました。
タグ :餃子
プレーボール!!
2009年05月15日
今日から、熊本県高校軟式野球大会が始まります。
九時半開始の第一試合で、うちの長男が先発ピッチャーとして出場予定です。
主人は、8時前にはいそいそと応援に出かけました。
私も、たまには長男の応援に行きたいのですが、店を閉めるわけにもいかず、いつも留守番です。
思えば、去年の春、我が家は無茶苦茶、暗かった。
学区外の枠は思った以上に厳しく、長男の頑張りも及ばずに公立高校に不合格。
仕方なく、滑り止めの高校に進学しました。
それでも、気持ちを切り替え、本人は野球部入部に夢を膨らませていたようです。
親には、もちろんそんなこと無理とわかっていますが、
本人の夢は「甲子園出場!」。
親としては、勉強も頑張ってもらわないという気持も強く、
進学クラスの中で唯一、部活もできるクラスに入れました。
ところが、長男は、それに「課外ばっかりで部活ができん!」と激怒。
入学式から喧嘩でした。
それから数日後、こんなメールが届きました。
「今日、硬式野球部行ったけど、新入部員が100人いた。
寮の自習時間に間にあうようには帰れないから、レギュラーになれるのも難しいし、勉強もできん。
どうすればいいかわからん。」
電話すると、もう半泣きの様子。
私は、なんだかもう不憫で「文武両道が理想だけど、あなたが生きているだけで幸せだから、野球か勉強、どちらかを選んでいいよ。」ということを伝えました。
それから主人とも色々話したようでした。
で、彼の出した答えは「俺も、将来の事も色々考えているから、軟式野球部に入って勉強も頑張る。」
それからは、吹っ切れて素晴らしい仲間との出会いもあり一年生からレギュラーとして試合にも出させてもらい高校生活を楽しんでいるようでした。
寮生活で、洗濯、掃除も自分でしなくてはいけないし、自宅の様に冷蔵庫を開ければいつでも好きなものが食べられるとい事もない中、後期の成績ではクラスで一番を取る頑張りを見せてくれました。
でも、やっぱり軟式は硬式に比べて地味だし、夏の大会でもテレビに取り上げられることもありません。
私の心の中には、「無理をさせたのかな~。もう少しレベルの低い高校を受けて硬式野球をさせてやった方がよかったじゃないかな~。」と、申し訳ない気持ちが常にあったのが正直なところです。
先日のGWに一日だけ休みがあって家に帰って
「俺、今の高校に行って本当によかった!!」という言葉を彼から聞いた時、
やっと心のもやもやが消えた様な気がしました。
この前のメールに「母の日に何にもしてあげられんで、ごめん。今度帰った時はなんなりと。」
な~んて書いてありましたが、この言葉が何よりのプレゼントでした。
さあ、もう試合は始まっています。離れていてもいつも、息子の応援団長です。
「がんばれ~!!」
おかげさまで一回戦勝ちました!
その路地の先に・・その7
2009年05月14日
スペイン食事編
貧乏旅行の私たち、レストランで食事をするのは原則として一日、一回。
あとは、公園や移動中のバスや汽車の中で自分たちで作ったサンドイッチなどで済ませた。
メルカード(市場)に行って、パンや生ハム、果物などを調達するのも楽しかった。
サンドイッチを作るのに使うマヨネーズも、日本の様なチューブではなくガラスの瓶に入っていたし、美容と健康のためと買ったオレンジもキロ単位で(一キロが100円ぐらい!!)、私たちは、いつもリュックを担いで手にはマヨネーズやオレンジの入った袋を、ぶらぶらとぶら下げて旅していた。
庶民的なレストランにはたいてい、メヌー・デル・ディア(本日の定食)がある。
安い料金で、飲み物、サラダかスープ、メインディシュ、デザート、コーヒーなどが付いていて、それぞれ2,3種類の中から選ぶことができたりする。
飲み物も、水でもワインでもおんなじ値段だ。レストランによっては、一瓶どんっと置いていってくれるところもあった。
コンポステーラでたまたま入ったレストラン、TIXOLA。
私達のほかにはお客さんもいず、ちょっと不安だったが、おじさんがとっても親切だった。
私達のため、まず音楽をかけてくれ、わざわざ食材を見せてメニューを一生懸命説明してくれた。一番安い定食にしたにもかかわらず、おじさんは終始にこにこ顔。
海の幸がおいしい街なので、生ガキも頼んでみた。当時、一個100円でとってもおいしかった。
「デザートは00000か、xxxxxのどっちにする?」と聞かれ、わからないまま
聞いた感じ、おいしそうなxxxxxにした。
何が出てくるか、わくわくしながら待っていると、
皿に載せられた一本の「バナナ」がうやうやしく登場したのには爆笑だった。
おじさんと握手をして店を後にした。今も元気でいてほしいな。
モロッコとかでは、お腹こわして、大変な目にあったこともあったけど、地元の食べモノに挑戦するのが旅の醍醐味ですよね。
パエリアはよく食べました。こんな豪華じゃなかったですが。
安くておいしいバレンシアオレンジ。
貧乏旅行の私たち、レストランで食事をするのは原則として一日、一回。
あとは、公園や移動中のバスや汽車の中で自分たちで作ったサンドイッチなどで済ませた。
メルカード(市場)に行って、パンや生ハム、果物などを調達するのも楽しかった。
サンドイッチを作るのに使うマヨネーズも、日本の様なチューブではなくガラスの瓶に入っていたし、美容と健康のためと買ったオレンジもキロ単位で(一キロが100円ぐらい!!)、私たちは、いつもリュックを担いで手にはマヨネーズやオレンジの入った袋を、ぶらぶらとぶら下げて旅していた。
庶民的なレストランにはたいてい、メヌー・デル・ディア(本日の定食)がある。
安い料金で、飲み物、サラダかスープ、メインディシュ、デザート、コーヒーなどが付いていて、それぞれ2,3種類の中から選ぶことができたりする。
飲み物も、水でもワインでもおんなじ値段だ。レストランによっては、一瓶どんっと置いていってくれるところもあった。
コンポステーラでたまたま入ったレストラン、TIXOLA。
私達のほかにはお客さんもいず、ちょっと不安だったが、おじさんがとっても親切だった。
私達のため、まず音楽をかけてくれ、わざわざ食材を見せてメニューを一生懸命説明してくれた。一番安い定食にしたにもかかわらず、おじさんは終始にこにこ顔。
海の幸がおいしい街なので、生ガキも頼んでみた。当時、一個100円でとってもおいしかった。
「デザートは00000か、xxxxxのどっちにする?」と聞かれ、わからないまま
聞いた感じ、おいしそうなxxxxxにした。
何が出てくるか、わくわくしながら待っていると、
皿に載せられた一本の「バナナ」がうやうやしく登場したのには爆笑だった。
おじさんと握手をして店を後にした。今も元気でいてほしいな。
モロッコとかでは、お腹こわして、大変な目にあったこともあったけど、地元の食べモノに挑戦するのが旅の醍醐味ですよね。
パエリアはよく食べました。こんな豪華じゃなかったですが。
安くておいしいバレンシアオレンジ。
夏の新作手ぬぐい
2009年05月11日
なんか、一気に夏が来た!!という感じですね。
でも、ここ馬見原は夏でも、家の中はとっても涼しくて、我が家でもクーラーをつけるのは
ひと夏に数回程度です。クーラーに当たらない生活は健康にはとってもいいと思います。
冬はその分寒いんですけどね。
さて、夏といえば
手ぬぐい
です!(なぜに?でも、そんな感じしませんか?)
今日、夏の新作手ぬぐいが入荷しましたので、早速ディスプレーしました。
他にもたくさんありますので、ぜひ涼しい馬見原に見にきてくださいね。
でも、ここ馬見原は夏でも、家の中はとっても涼しくて、我が家でもクーラーをつけるのは
ひと夏に数回程度です。クーラーに当たらない生活は健康にはとってもいいと思います。
冬はその分寒いんですけどね。
さて、夏といえば
手ぬぐい
です!(なぜに?でも、そんな感じしませんか?)
今日、夏の新作手ぬぐいが入荷しましたので、早速ディスプレーしました。
他にもたくさんありますので、ぜひ涼しい馬見原に見にきてくださいね。
6丁目の夕日
2009年05月07日
だいちゃんかぞえうたソノシート 岩城屋昭和レトロコーナー展示
連休も終わりましたね。
でも、まあ世間のGWも商売人の子供には、なんの関係もありません。
私も、駅前商店街の子供だったので連休といっても、親にどこかに連れて行ってもらった事もなく、またそれが当り前のように育った。
うちは駅前の通りと国道が交差する交差点の角の信号機の下で金物屋と毛糸屋をやっていた。
今ほど車の交通量はなかっただろうが、商店街もかなり活気があったように思う。
うちの斜め前の交差点の角は、産交バスのターミナルでバスガイドさんの寮もあった。
母はとにかく忙しく、2,3歳の私はよく段ボールの箱に入れられて店先に置いておかれ、バスガイドさんたちが代わるがわる子守りをしてくれていたそうだ。なんとも、のどかな時代だった。
そんな場所だったから、我が家には庭というものがなく、家の前の道路が遊び場だった。国道で、縄跳びをし、横断歩道でけんけんをしていた。弟たちは、メンコや缶けりなどをやっていたように思う。夏休みには、花火も家の前の国道でやっていた。ヘビ花火なんてしようものなら、交差点中煙でいっぱいで信号もかすんでいた。街灯には、クワガタやカブトムシが飛んできた。(そういえば、小学生のころ以来、玉虫を見かけていないが、まだいるのだろうか?)
いつか弟のいたずらに激怒した母が、通りの街灯に彼を縛り付けたことがあった。抜け出そうともがく彼と、笑いながら通りを歩く人たち。今でも思い出すたび笑える場面だ。
他にもタクシー会社の裏のドラム缶がたくさん積んであるところや駅でよく遊んだものだ。近所の子供とドラム缶の上を走りまわったり、駅でかくれんぼなどして毎日、毎日日が暮れるまで遊んでいた。今思えばかなり危険な場所なのに、叱られた覚えもない。
汚い池で、ザリガニ釣りに夢中になったり、豚の赤ちゃんが生まれたと聞いては見にいったり、牛に追いかけられたり。
今、自分が親になってみて、もし子供がそんな場所に行くとしたら絶対「ダメ!」って言うような所ばかりで遊んでいた。
昭和40年代の高度成長期、大人も子供も今より確かにたくましかった。
子供のころの思い出は、あの頃球磨川の川原で拾ったきれいな石のように、時々取り出しては眺めてみたくなる大事な宝ものだ。