スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

街づくりシンポジュウム

2010年04月27日




5月8日(土)10:00~15:00
馬見原交流広場、馬見原小体育館にて

第21回くまもと景観大賞受賞記念イベント
として

馬見原街づくりシンポジュウムが開催されることになりました。

合わせて

*日向往還~馬見原まち歩き
    参加費 500円(資料代、保険料含む)当日受付
    特典  ①200円の商品引換券
        ②馬見原茶の振る舞い

*馬見原牡丹祭り

も同時に開催されます。









商店街をゆっくり散策しながら、山都ころっけの食べ比べなどいかがでしょうか?

美味しい馬見原昼めし屋も、みなさんをお待ちしております。

詳しくは
馬見原街づくり協議会(商工会蘇陽支所内 0967-63-0037)
山都町役場蘇陽総合支所(0967-83-1111)
に、お問い合わせください。





  


SAKE(酒)ソムリエになった弟へ

2010年04月24日

アメリカ、テキサス州のサンアントニオ市に住んでいる弟が新聞に載りました。
なんと、SAKE(日本酒)のエキスパートとな?!
いつの間に、こんなことに・・・??




子供の頃は猿犬の仲だった私達だったけど、
あんたが12歳の時、母さんが亡くなってからは、何かと協力してやって来たよね。

私が家を出てから、お父さんと二人暮らしの時期は色々苦労もあっただろうね。

いい奥さんをもらい幸せになってくれた事を喜んでいたけど、
なんかいつも、ついてない人だったよね。

貿易会社を辞めた後、得意の英語が生かせると、
チェコから地ビールの機械を輸入する会社に就職したものの、
地ビールブームはすぐに去り、厨房で働かせられたり、焼酎作りをさせられたりしてたよね。

その後、SONYの下請け会社がアメリカに進出するということで転職し、
家族でアメリカに渡ったけど、
これまたアメリカのコンピューター産業が急下降し、あえなく撤退。

だけどあんたは、アメリカに残ることを決意し、
日本食レストランで、マネージャーとして働きは始めたのがもう8年ほど前になるのかな。


とうさんは、末っ子のあんたの事が心配でたまらない様子だったよ。


「なら、一度行ってきたら?なんなら、私が付いて行ってやろうか?」

   「俺はいかん。あいつのみじめな姿は見たくない。」

(という事で、あわよくば、私も一緒にアメリカに行くというもくろみは見事に失敗したけど)


でも・・「みじめな姿ってなん???」
子供を育てながら、夫婦で頑張って、小さいながらも家も買い、幸せなのにね~。


戦争に行ったとうさんの頭の中には、

アメリカ=敵国

移住=ブラジル移民並みの苦労

テキサス=砂漠とサボテンの不毛の地

という図式が出来上がっているのかどうかは、知らないけどね。


今回の記事でやっと安心したみたいよ。
よかった、よかった。一番の親孝行になったんじゃない。



母さんに、商店街の電柱にくくり付けられていたあんたが。

私の貯金箱から盗ったお金を自分の貯金箱に入れていたあんたが。

ブルースリーにかぶれて、ヌンチャクを振り回していたあんたが。

こんなに立派になって、姉ちゃんはうれしいよ。

まあ、貯金箱の件はなかったことにしてやるけん、
遊びに行くことがあれば、そん時はよろしくね。













  


Posted by 梅子 at 13:00Comments(19)日記

断髪式

2010年04月20日

中学の野球部に入部した三男、生まれて初めての坊主頭になりました。

ちょうどその日は、法事で親戚の方たちも集まっていたので、
みんなに見守れながら、お相撲さんの断髪式みたい。




お昼間は、伯父さんの納骨で、制服を汚しながらも狭いお墓の中に入ったりと
大活躍だったそうで。
東京の叔母さんも、「なんでも、はい!と返事してくれて、素直ないい子ね~。
今日の事は忘れられないわ。」と大変喜んでいらっしゃいました。

卒業式に、「お父さんが付けてくれた名前の通り、人を助ける人になりたいです。」
という手紙をくれた彼ですが、今回はちょっとお役に立てたのでは。

その後、感激したおばさんから、おこずかいまで頂いて、思わぬ臨時収入に
ニンマリの彼でした。





  
タグ :野球部


Posted by 梅子 at 14:02Comments(9)日記

復活

2010年04月17日

去年、ある事件により絶滅しかかったスズラン。





今年は、どうかな~と心配しておりましたが、
数は以前に比べると少なくなりましたが、
今年も無事芽を出してくれました。
完全復活までは数年かかるかな。

花が咲くまで、もうちょっとです。

今朝は、関東でも雪が積もったところがあるようですが、2日前
馬見原も雪が降りました。

今朝も、霜が真っ白で、庭の草花たちも寒そうでした。

それでも、
百合達は、むくむく日々成長。




利休梅も満開。




小さなラナンキュラスのようなかわいい花。





クランベリー、ブルーベリーもたくさん花をつけています。

名前忘れましたが、ピンクの花をつけるこの木も
あざやかな黄緑がとてもきれいです。




今日も、店番の合間に草取り頑張ります。




  


Posted by 梅子 at 11:12Comments(5)馬見原の四季

それぞれの春

2010年04月11日

みなさま、お久しぶりです。
しばらく、お休みしておりました。

春休みということで、家族旅行 → 三男胃腸炎 → 看病していた私にうつる →
ふらふらで三男入学式 → 次男入学式
という感じで、パソコンを開く暇もほとんどなく過ごしておりました。

今年は、W卒業、入学ということで、バタバタしていた我が家でしたが、
昨日の次男の高校入学式でやっと、一段落というところです。





中学の方は、今年は例年になく大人数、(と言っても42人ですが)教室もせまく感じられました。
担任は、今年新しく来られた先生。
入学式の2,3年生の校歌の歌声が、6倍の人数がいた前の学校の生徒の歌声よりも大きくて、
感動されたのこと。
こちらの生徒たちは、本当に純朴で素直なので、大きな町から来られた先生には、
新鮮な驚きとなるようです。
ぶかぶかの制服で、まだまだ幼い子供たちがかわいらしい入学式でした。






市内の高校に進学した次男も、寮生活を送るため、我が家を巣立って行きました。
上級生にも同級生にも、一人も知り合いのいない所で、
不安80パーセントと、言っていました。
井戸の中どころか、洗面器から江津湖へ放したカエルのような状態で、
どうなることかと心配もありましたが、
入寮からすぐ入学前の宿泊研修を終え、お友達もでき、
入学式で会った息子は元気そうで安心しました。


お母さん方は、子供さんを寮や下宿に入れた後、泣きながら帰る方が多いようですね。
先日お会いしたお母様も
「息子を、特攻隊に入れるような気分で、大泣きしました。」とのこと。

私と友人
「泣いた?」
  「別に~。お達者で~!!って帰ってきた。」
「だよね・・」
といわけで、我が家も「お達者で~!!」と明るく別れてまいりました。

私達って冷たいんでしょうか?
まあ、後にも、まだつかえてますし、これからの教育費の事を考えると、
涙よりも、溜息の方が出るわけで。

というわけで、「ブログ見てますよ。」と声を掛けて下さる皆さん、
たわし一個でも、お買い物にもぜひ来て頂けると大変嬉しいです。

母の日も近いですし・・。


「梅子さんのブログって、あんまり店の宣伝がないですよね。」と、
先日言われたので、取り合えず宣伝もしてみました。

今日は、真新しい体操服にゼッケンを縫いつけながら、店番しておりますので、
ふらっと、遊びに来て下さい。

では、また、新年度もよろしくお願いいたします。
  
タグ :入学式


Posted by 梅子 at 10:50Comments(11)日記

番外編 続き

2010年04月02日

よく、お母さんの話をしてくれていたので、
「お母さんに会うのが楽しみ。」と言うと。
   「マムは、英語しゃべれないのよ。」と。

彼女は、イギリス生まれのイギリス育ちだが、ご両親はインドのご出身で、
お父様は、すでに亡くなり、今はお母さんと2人暮らしだ。

家庭での会話は、パンジャビ語(インド北部の言葉だったと思うが)なのだそうだ。
まあ、こちらも片言の英語なのだからちょうどいいではないか。

サリーを身にまとったお母さんは、やさしい笑顔で迎えてくださった。




(右から、お母さんと近所のお友達)

小さいながらも、よく手入れの行き届いた庭を眺めながら飲んだ、お母さんの入れて下さった紅茶はとてもおいしく感じた。
たとえそれが、ティーパックの紅茶でも(笑)






(ラベンダーがきれい)

別れの日、お母さんは微笑みながら、私たちにお金を差し出した。
もちろん固辞したのだが、どうしてもということだったので、結局ありがたく頂いてしまった。
社会人になって以来、おこずかいをもらう事なんてたぶん初めてだったので、
びっくりで、かつ、とってもうれしかった。




おととしのクリスマス、毎年届く彼女からのクリスマスカードが来ず、
気にはなっていたものの、忙しいのだろうと思っていた。
年が明けて届いたメールには、
「去年、母が亡くなったのでカード出せなかった。ごめんなさい。」とあった。
遺灰を持って、インドのお母さんの故郷へ行くとも書かれていた。
私にとって、たった数日を一緒に過ごしただけの人であったが、あのにじみ出るような優しさを忘れることはないだろう。

一人になった彼女の事が心配だったが、今、相変わらずあちこち旅行しているぐらいだから、
元気なんだろう。

ハガキの最後は、「会いたいな~。もうすぐ、日本に行くからね~!」と結ばれていた。
え~、ホントに!今から、彼女との再会がとても楽しみだ。
  
タグ :イギリス


番外編 この路地の先に・・・。

2010年04月01日




昨日、我が家に舞い降りた一枚の英文のはがき。
「ん~、この悪筆は、Hちゃんだな。」

彼女からの手紙、いつも宛名は私の苗字さえない。
UMEKO SAN (実際は本名は書いてありますけど)てな具合で、まさかSANが苗字と思っているって事はないと思うのだが。なんか、郵便屋さんに申しわけない気がする。

で、消印は?



マラケシュ!!
今度は、モロッコかァ~。




この間は、アルゼンチンからで、「タンゴを習っています。」なんて書いてあったし、その前はカナダからで、確かその前は、「インドに野生のトラを見にきています。」だった。

私より、ず~っと小柄な彼女のどこにそんなパワーがあるのか、いつも感心してしまう。

しかし、いつものことながら彼女の手紙は、解読するのに3回は読み直さなければならない。というか、3回で、解読できる私は偉いとさえ思う。

だって、これが 


The で
これが、


very という感じなんだもん。
内容も、天気の話しとかぐらいだし、前後の文脈と慣れで、いつもなんとか理解している。



イギリスから、この山里の町の中学校の英語教師としてやってきた彼女を、前任の先生が紹介してくれたのが、最初の出会いだった。もう7、8年前にもなるだろうか。

年老いた母が心配だからと、たった一年で帰国してしまったが、それまで楽しくお付き合いさせて頂いた。
気さくな彼女は、よく自宅に招待してくれたものだ。インターネットで輸入したという、ナンやベジタリアンの彼女が作ってくれたインド料理はとてもおいしかった。
ただ、ヨーグルトに刻んだキュウリを混ぜて、ご飯の上に乗せた物だけはどうもいただけなかったが。(どう考えても、それぞれ別々食べた方が、おいしいだろっ!)


帰国する時
「イギリスに遊びにきてね。」
「うん、行くよ。」という会話があったわけだが、社交辞令みたいなもので、
普通はこれでおしまい。それっきり、音信不通になるパターンさえある。

しかし、彼女は、それからも何度か国際電話をかけて来てくれ、その度に
「いつ来るの?」
「いつ来れるの?」と聞くものだから、
私も思わず「じゃあ、来年の春に行くよ。」と答えてしまった。


そんなこんなで、私は花々が美しく咲き誇る季節、ロンドンのヒースロー空港で彼女と感激の再会を果たしたのだった。

つづく・・・。
  
タグ :イギリス